小指一つ分のミステリー
キーボードをタップする音だけが耳に届く。眼前に置いた複数のモニターには、解析を続ける文字列と映像が流れていく。
ハインラインはここ数日、一つの作業に没頭していた。
コンパス設立に伴いプラントが出した戦力の一つ、最新鋭の戦艦ミレニアム。
自身も開発などに大きく関与している戦艦で、技術大尉の肩書きを持って乗艦することが決まっている。
ブリッジを含む乗員もほぼ決まっていると、艦長に決まったコノエからも連絡があった。
訓練として行われる数々のシミュレーション。データの殆どは自分の手元に送られてくる。
そう、殆ど。全てではない。
全てを確認するのは不可能だ。期間を区切り、各ステージで成績上位の幾らかが厳選して送られてきて、解析を行うことになっている。
件のシミュレーションデータが送られてきたのは偶然だった。
ここ最近は誰も挑戦していない、ミレニアム操艦の初級ステージ。スコアは今ひとつ。
誰も触っていないからこそ上位として残り続け、送られてきた。
スコアの低さに興味を削がれたが、これを確認するのも仕事のうち。複数開いたモニターのうちの一つで流し見ていた。
「……ん?」
スタート地点に設定された宇宙港からの出艦。自分でルートを決め、予定時刻までにゴール地点の宇宙港に着艦。これだけのシミュレーションだというのに終了の合図がない。大した動きもないので片手間に見ていたが、この時間のかかりようが低スコアの要因にもなっていそうだ。
画面を注視すると、ミレニアムは問題なく運行している。揺れのない滑らかな動き。計器の表示を拡大すると、予想よりかなり早いスピードを出している。
この速さでまだ終了していないということに違和感を感じ、データを見直そうと手を伸ばした瞬間。
ミレニアムが障害物を避けるために、するりと移動した。流れるように元の航路に復帰して進んでいく。あっという間に目的の宇宙港に到着。スムーズに着艦。終了。
表示されたスコアは予想通りに低い。航路の選択ミスによる時間のかかり過ぎが、大幅減点になっている。
機体の制御はほぼ完璧。スピードを出してもブレなかったので高得点。出艦と着艦も満点に近い点数を叩き出している。
ステージスコアは各点数の平均点となるので、結果としては低得点。
あまりにもクセのあるデータ。興味を惹かれたので最初からシミュレーションを見直してみれば、驚愕と歓喜に表情が歪む。
チグハグなデータを叩き出した人間は最初から、シミュレーションの高得点を出す気はさらさら無かったらしい。
スムーズに出艦を済ませて、いきなり航路を無視してスピードを出し始める。トップスピードは設計上の理論値に近く、ミレニアムのシミュレーションで最速を叩き出していた。設置されている障害物は何の妨げにもなっていないようにも見えてしまうほど、滑らかな動きで避けていく。
満足するまで飛んだらしいミレニアムはゴールに設定してある宇宙港へ進路を向けた。先ほど見たのはステージの終わりぎわだったようだ。
無駄のない着艦で締めて、シミュレーションが終了する。
このデータを叩き出したのは誰だと、ランキングに載せられた名前を見てみれば【S.S】の文字。
興奮のままに早速調べてみるものの、ミレニアム乗艦予定者に該当は無し。コンパス出向予定者に範囲を広げれば、イニシャルが一致するものはいたが、戦艦を動かせるような能力の人間は見つからない。
データの日付からシミュレーターを使った履歴を解析しようとすれば、その日は誰も初級を触っていないことになっている。
「改竄されている?上等だ」
これは探しがいがあると、コンピューターに向かい合った。
他の作業はもう目に入らない。
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思い出したのは、ミレニアムに与えられた自室のベッドに座って、寛ぐノイマンの一言からだった。
「プラントにお前のお眼鏡に叶う操舵士は?」
マグダネル中尉の腕も悪くはない。ミレニアムの舵を任せるに足るとは思っている。
ずっとミレニアムに乗ってて欲しい凄腕の操舵士は、すぐ近くでリラックスしているが。
「コンパス発足の少し前、ミレニアムの初級シミュレーターに残されていたS.Sという人間は気になっている」
結局は見つけられなかった。他の仕事が立て込んでそれどころではなくなってしまった。
更にはミレニアムのスペックを十全に扱う操舵士が同じ組織にいるのだから、意識は完全にノイマンに向いたというのも大きい。
「あぁ。初級でステージ無視して、好き勝手にミレニアムでかっ飛ばしたあれ?」
「知ってるのか!?」
「俺だよ」
さらりと言われた衝撃の事実。ノイマンは雑談の一つにしか思っていなさそうだが、こちらはそうもいかない。
「何だと!?詳しく説明してくれ」
「あっさり信じたな?」
「断片的な情報からシミュレーションの内容を言い当てただろう。何より君は冗談は言ってもこういう状況で嘘はつかない。他人の功績を奪うような嘘なら尚更だ」
「あれを功績と言われるのはちょっと」
「シミュレーションとはいえ、当時のミレニアム最速を出しておいて何を言う。ちなみに現実での最速を出したのも君だからな。あのデータを解析して機体バランス機構諸々の改良に繋がった。出艦着艦のブレのなさも素晴らしい。本人の許可さえあれば手本として扱い、教材にしたい出来だと当時から強く思っていたさ。今は君本人が教えているのだから操舵士の技術向上に大きく貢献していることには変わりはないのだけれども。あの速さと技術で飛べるなら砲撃にも影響が出るだろうと、ロックオンシステムの改善にも着手して」
「詳しく聞きたいんじゃなかったのか?」
「頼む」
シミュレーションの相手を見つけた興奮で口が緩む。どれだけ感動したかを伝え切れてはいないが、今は本人に訊ねたいことを優先しよう。
「どうして君がコンパス発足前のミレニアムのシミュレーターに?」
「お偉方との顔合わせに駆り出されて。非公式に訪ねたそこでちょっと触ってみないかと」
「そんな理由でシミュレーターに座らされたのか」
「ナチュラルにプラントの最新艦を動かせるのか?って試されてた気もする」
「後でそこにいたプラントの人間の特徴を教えてください。名前はいりません。特徴だけでいいです」
「教えない」
「……」
睨みつけたって彼には通用しないのだ。軽く息を吐いて次の質問に移るとしよう。
「隠されていたのは?」
「出向が内定しているとはいえ、オーブの一尉がプラントの最新戦艦に触ったってのはトラブルの元になりかねない。念の為ってやつだ」
「今はあっさりと答えたな?」
「ハインライン大尉がシミュレーターの【S.S】を熱心に探しているのを覚えている人がいたんだ。少し前に、もう時効だろうから聞かれたのなら答えていいと許可を貰っている」
「君より階級の高い人間か」
「こら、詮索しない。その人の許可がなければ隠し続ける予定だったんだぞ」
ノイマンの柔らかい叱責に詮索の口を閉じる。その人物に感謝はあれど恨みはない。
「これは今気になったんだが」
「ん?」
「どうしてシミュレーターに記録するのに【S.S】と?」
今まで快活に答えてきたノイマンの視線が泳ぐ。眉を下げて数秒。
「偶然だよ。急いでたってのもある」
「もう少し詳しく。あなたなら【A.A】とでも表記しそうだと感じたのだが」
「正解。今はそっちの表記にならなくてよかったと思ってる。適当にAを連打のつもりが、アークエンジェルでも連想して来られたら困ってただろうな」
【A.A】と残していてくれたなら、彼に辿り着けたかもしれない。戦艦に関わるもので不沈艦アークエンジェルを知らない者はいないだろう。特に自分はこれから同じ組織の中で関わろうとしていたのだから。
「違うのか」
困ったような表情でノイマンが両手を広げて、こちらに向ける。操舵士の手は分厚くて強くて繊細に動く。
「キーボードを使う時、Aは小指で押すだろう?」
「?そうだな」
「元々非公式だし、初級のステージだから早く終わるだろうと思われてた。俺が余計なことをしたから時間が押してしまって」
あのデータでは大幅に減点対象となるくらいには時間がかかっていた。
ノイマンが左手の小指を揺らす。指の間から見える表情は曇っていて。
「タイプミスだよ。一つずれたんだ」
「……指一つずれただけで、僕は君に辿り着けなかったのか」
タイピングに失敗することがある。そんなのは思いつきもしなかった。次はないようにしっかりと覚えておこう。
「そんな真面目な話じゃないんだよなぁ……」